『愛していると言ってくれ』のラストについて、自分なりの感想
これまで当ブログでは、本のこと、シャンメリーのこと、ラムネのこと…等、様々な話題について触れてきましたが、今回はドラマ関連の話題を取り上げてみようと思います。記事に一貫性がなくて、申し訳ありません。
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5月31日から、3話ずつ、4週間にわたって放送される、TBSの名作ドラマ『愛していると言ってくれ』について、少し個人的なコメントを述べたいと思います。
1995年の作品なんですね。あんまり年がばれるのでアレですが、私はこのドラマのリアルタイム世代ではありません。そのため、今回観るのが初めてなんです。
とはいえ、私は昼のワイドショーの後の、ドラマの再放送をなんとなーく観ていた人間ですので、90年代後半~00年代前半くらいのドラマには親しみを持っています。あの独特の、色が全体的に薄い感じとか、くっきりしていない感じ(ぼんやり感が独特の世界観を醸し出す)とか、画面のサイズとかに懐かしさを覚えますし、そちらのほうが安心という感じです。テロップのフォントとか、文字の影の感じとか、オープニングがしっかりオープニングにあることとかも、一昔前のドラマならではという感じですごく好きです。
前振りが長くなっていしまいましたが…『愛していると言ってくれ』を初めて観て、衝撃的だったことは、
・豊川悦司はめちゃくちゃ爽やかイケメン
・当時からゆるっとした服装が流行っていたこと
・常盤貴子の髪型がめちゃくちゃ可愛い
・服装も可愛い
・FAXが二人の重要な情報伝達手段になっているということ
・オープニングの映像がきわどい
ということですね。
私のトヨエツさんの印象が、20世紀少年ですね…ちょっといかつめ?のダンディーなおじさんというイメージでした。ですので、このドラマを観た時には衝撃でした。「え!全然今と雰囲気違う!」と。目元のキリッと感とか、儚げな感じとか、もう最高です。
本当に素敵ですね。もうかっこよすぎる。髪型も、当時の流行?が少し入っているのでしょうか。前髪が、前にも少しふんわりと出ているという感じで、すごく好みなんです(個人的な意見)。
そして、常盤貴子さん、本当に可愛らしくて、そして美しいですね。上目遣いがとにかく自然で(全くあざとくない!)可愛くて、少し幼い感じもあって、たまらないです。
髪型、服装といい、すっごく自分の好みなので、観ていてもう本当に楽しい限りです。
様々なネタバレ・あらすじブログを読ませていただきました。
なるほど、最後に二人は別れてしまうけれども、3年後にまたあのリンゴの木のところで再開して微笑み合って…という感じなんですね。
そもそもハッピーエンドなんですかね?
あくまでひねくれた考えではありますが、紘子はまだ若いから、昔の話としてそれは完結してしまっているのではないか、なんて考えてしまいました。ただ、そうだとしたら、知らんふりをして通り過ぎるか、お互いに新しいひとと一緒にいて、少し振り返るとか…そんな感じになると思われるのです。
けれども、二人は微笑み合うわけですから、またそこから始まる、と捉えていいはずですよね!
3年という時を経て、紘子は大人になる必要があったんでしょうね。
晃次の完成させた、3年後に賞を取った絵についても、絵にすることで紘子との思い出を昇華させたとも取れるかなと思ったのですが、そういう風に捉えるべきではなく、3年間、晃次の心の中に紘子がいた、と捉えるほうが素直でしょうね。
お互いに未完全なまま、出会ってしまっていたけれど、3年間が準備・成長期間になって、成熟した状態で、出会うべくしてまた二人は出会った、と捉えたらいいのでしょうね。そう考えると、晃次もまだ未熟だったということなんでしょうね。自分が傷つくのが嫌だから、自分の殻に閉じこもりすぎていて、それが相手を傷つけてしまったという見方もできなくはないでしょうし…お互いが将来に幸せな恋愛をするために必要不可欠な3年間だったと捉えられそうです。
ちょっとクサい言い方ですが、運命の恋だからこそ二人は出会う、ということなんでしょうね!!
りんごについても、これは恋愛を象徴してそうですよね~"熟した"とかそのような意味でです。
もう一つの謎です。
なぜ別れる必要があったのかということです。
これに関しては、紘子の中で不信感がぬぐいきれなかったということがあるんでしょうね。相手は大人ですから、自分より知っていること、経験していることがたくさんありますから、なんとなく信じきれないというか、少しでも元カノとかが出てくると「騙されてる?遊ばれてる?」という感情が生まれますよね。(元カノも指輪を置いていくなんて意地悪ですね…若い子に向かって大人げないですし、なんだか粘着質な感じがあって、苦手なタイプの女性ですね…。)
あと、自分は相手には似合わない、など。(大人同士での恋愛はわかるけど、子供と大人は不格好と感じたのですかね。)紘子の若さゆえですよね~。これについてはなんとなく分かる気がします。
逆に不信感を描かなかったら、それはそれで単細胞な感じですよね。
批判ではないですが、今の恋愛物語って、疑いがあることが起こっても、相手がなんやかんやすぐ信じて、(しかも1話で!)関係が修復することがほとんどで、なんだかあんまりしっくりきませんね。最近の子は、ことなかれ主義なんですかね~。当事者だったならば、やっぱり不信感をもって当然ですよ!!
あと、元カノを家に泊めてしまった晃次も悪いですよね。タイミングも悪いですし…。晃次は優しすぎるんでしょうね…まぁこれは仕方ないですね。
もう一つ、紘子がふらふらしすぎですよね。
もしここで、そのままケンちゃんのことを部屋に放置なんてして、優しく受け止めてくれる晃次のほうに行ってしまったら、それこそ視聴者は紘子に対して反感を抱くでしょうね。そもそも、オトナへの不信感から、衝動的に幼馴染と関係をもつ紘子の精神的な幼さは、見ているこちらも「う~ん」という感じですよね。
晃次にとってはかわいそうではあるけれども、紘子は自分に懲罰的な意味で別れを選んだ、と捉えればいいんですかね~。"自分が自分を許せなくて!"みたいな感じでしょうか。それでもいったん立ち止まって考えてみてほしいですよね。
ケンちゃんに謝るのは必須として、さらに晃次と別れるということは、さらに傷つける人を増やすということになりませんかね??晃次は、そういう紘子も好きだよ~みたいなことも言っていたはずですけど、なんでそれでも紘子は別れを選んだのですかね。やっぱり、不信感ということにするしかないですかね。このまままた晃次のところに戻れば、また同じようなことが起こるだろうし…みたいなことを紘子は言うそうですが、これはやはり相手の過去を受け入れきれない自分の未熟さから、そのような選択をしたと考えることにします。そのまま交際をしたとしても、やっぱり元カノの影がちらついて、当たったりしてしまいそうなんですかね?世の中そういうものなんですか?3年間は時間薬ととらえますか?
3年間で、想いがより強固になった、と考えることもできそうですね。
いずれにせよ、紘子の自立は必須だったでしょうね。1人前になってからもう一度やり直す、みたいな、別れをエネルギーにして独り立ちできる大人になるっていう感じの要素は必要だったということですかね。
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こうやって、あれやこれやとじっくりと考察したくなるほどに、お二人の演技が素晴らしいものであると感じました。すっごく物語に引き込まれ、夢中になります。
余談ですが、もう1つ。
携帯、電話がないからこんなことになってしまったんだ、みたいな風に言われますが、逆に今は相手の私生活が見えすぎるからこそのトラブルもありますし、まして昔よりもこっそり浮気できるようになっていますから…私は昔のほうがいいと思います。
私たちは、便利さと引き換えに信じる心を失ったと思います。
最近の子が「僕(私)のことを信じて」って、すぐに言い出すところが苦手ですね…聞くだけでゾッとします…批判ではなく、個人的な意見です。
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とにかく書いていて歯がゆい気持ちになりました。(笑)
現代っ子なので、やはりはっきりわかる"その後"というのが欲しいんです。
たとえば、結婚式の写真が映って終わるとか、その後の二人が映るとか…。曖昧なふわっとした終わり方のほうが、芸術的ではあるんでしょうね。想像力を掻き立てるという意味で良さそうですかね。
25年前のドラマなので、その後を作ることは難しいんですかね??是非TBSさんがその気になったら、今のお二人での続編を作っていただけたらいいですよね。続編ができたらできたで、「あの頃の美しい思い出をそのままにしてほしい」と仰る方がたいていいらっしゃいますから、難しいのはよく分かります苦笑
いずれにせよ、あのときにはもう戻れない…というのが一番つらいです!
ドラマを観ていると、昔に戻れるような気がするんですが、終わった後には令和2年を生きていることに気づかされて、虚無感だらけ…です。
過去の名作ドラマを再放送することの唯一の欠点は、これかも知れません…。
ただ、『愛していると言ってくれ』という作品自体が素晴らしく、名作であることには変わりありません。
結論を知ってから観るので、元カノが出てきてもなんとか耐えられると思います。(笑)
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。