犬雑記帳

どこにでもいる文系修士課程2年生の日常と感情の記録

コピー用紙・ノート・ルーズリーフ、どれを使うか?

ノートを使うべきか、ルーズリーフを使うべきか、コピー用紙を使うべきか、かれこれ何十年も悩んでいます。

本記事では、これら三種類の「紙」と私との思い出、そして私が考える「紙」の性格を記したいと思います。

 

 

《コピー用紙と私》

私は幼少期~中学時代くらいまでは、とにかく絵を描くことが好きだったので、A4のコピー用紙を常に携帯していました。A4コピー用紙と私は、サッカー少年が「ボールが友達」と言っているくらい"仲良し"だったと思います。

 

その後はさすがに絵を描く頻度も低くなってきたので、コピー用紙を使うこともほとんど無くなりました。高校時代は、ほとんどコピー用紙を使わなかったように思います。大学でようやく、資料をコピーしたり、レポートの構想を練ったりするときくらいに使っていた感じです。

 

ただし最近は、このコロナ禍で、在宅ワークの要請が高まったこともあって、A4コピー用紙の使用頻度はぐんと上がりました。データで送られてきたPDFファイルを家でひたすらコピーしています。500枚のコピー用紙パックが、二ヶ月で無くなったことがありました。

そんな中で、コピー用紙ならではの特徴に気づけたと思います。

 

・コピー用紙1枚と「対面する」ことは、精神的負担がゼロである。

幼少期からの「相棒」だからかもしれませんが、なぜだかコピー用紙を目の前にすることの方が、ノートを目の前にすることよりも気持ちが楽なのです。ノートを目の前にすると、『ああこれがこの1冊の1ページとして残るんだな・・・じゃあちゃんと書かなきゃ・・・』みたいな気負いが生まれ、書くことを躊躇してしまうのに対して、コピー用紙一枚であれば、『よし書こう』とすぐに自分の思考を紙上に表現しようとできるのです。

別にコピー用紙を、ただの紙っぺらとして馬鹿にしているわけではありません。机の上に載せたときの、平坦さ・水平さ・無防備・孤独感、さらには紙と机との(段差的な)境界線の無さが、たまらなく良いと言いたいのです。

書ける範囲が紙全体に広がっているという、ある種の「心の広さ」が、私の思考や意識をやさしく包み込んでくれる感じがします。

 

・気軽に接してくれる分、アフターケアが重要になる。

先述の通り、コピー用紙は、とても心の広い存在です。紙一枚という身軽さが魅力的なのです。しかし、身軽だからこそ、「アフターケア」を怠ると、大変なことになってしまいます。というのは、きちんとファイリングするなりデータ化するなりしないと、紛失してしまうリスクが非常に大きいということです。私はこれまで、何度もアフターケアを怠ってしまったせいで、大事な思考過程をあちこちに落としてきてしまいました。

 

ノートとは違って、1冊見つかればページ数分の紙が見つかるということはありません。コピー用紙は、集団生活はあまり好まないようですし、あちこちふわっといってしまいがちです。

ですから、二穴パンチで穴を開けてファイリング、ポケットファイルに収納、封筒で管理、データ化などといった手段で、大事なコピー用紙を管理し、住処を明確にすることが大切であると思います。

 

 

《ノートと私》

絵を描くことが好きだった私は、漫画やイラストを自由帳に描いていました。自由帳にどんどん絵を描き、一冊使い終わると、謎の達成感を得て、またさらに新しい自由帳を使い出す・・・ということの繰り返しでした。

学校(高校まで)の授業では、ノート(中高では、ロジカルノートを愛用していました)を使っていました。大学ではルーズリーフを講義ノートとしていたため、ノートを使う機会といえば、読んだ本の感想を書いたり、論文の要旨をまとめたりすることくらいしかありませんでした。

 

そんなわけで、私が考えるノートの特徴は以下の通りです。

・時系列順に思考をまとめられるので、思考の検索が簡単である。

ノートの特性である「時系列性」が、後から『あれ何だったっけな』と思い出そうとするときに、とても役立ちます。実際に論文を書いているときに、『この論文を書き始めた頃に読んだ論文のメモどこかな』と思い、探してみたら、一発でそれを見つけることができました。

 

・真面目で規則正しい時系列性が、書くことをためらわせる。

先述の通り、順番にノートのページに書いていくからこそ、

大きくミスったことを書くと、後から読み返したときに恥ずかしくなる

違う内容のことを1冊にまとめようとすると、なんかモヤッとする

ページを入れ替えられないので、戸惑う

のです。ノートは規則正しく、真面目で、私たちが気軽に描いた「こと」をも、ガッチリ掴んで離さないからこそ、その辺の融通がきかないのです。その分、後から見返すときの検索性の高さは抜群なわけではありますが・・・。そんな、どんな私をも受入れ、溺愛してくれるノートだからこそ、ノートに何かを書き込むときは、私も誠実であらねばならないと思っています。

 

 

《ルーズリーフと私》

ルーズリーフとの出会いは、中学1年生のときだったと思います。テスト勉強を、あえてルーズリーフでやっていました。普段はノートしか使ってはいけないからこそ、ある意味良い気分転換になったと思います。

そして、大学の講義ノートに、方眼のルーズリーフを愛用していました(語学の授業では、罫線のルーズリーフを使っていました)。コピー用紙やノートに比べて、ルーズリーフを使う機会はあまりなかったと思います。

 

・コピー用紙とほぼ同じだが、「穴」が気持ちを惑わせる。

ルーズリーフの特徴は、この1点に尽きると思います。はっきり言って、コピー用紙とルーズリーフとは、そんなに違いは無いと思います。罫線・方眼ありといったバリエーションがあるか否か、ルーズリーフ穴があるかどうかくらいだと思います。

 

この「ルーズリーフ穴」が、私にとってはやっかいなのです。カリカリ考えをまとめていくとき、穴にボールぺン先が落ちてしまうことがあります。穴にボールペンの先が落ちたときに、ハッと夢から醒めたような気持ちになり、『あれ何を書けば良いんだ?』となにかよくわからなくなってしまうのです。

また、逆にルーズリーフの穴にペン先が落ちないように気をつけて書こうとすると、「穴」の存在がとにかく気になって、「書くこと」に集中できないのです。

というわけで、「穴」のない、完全無欠なコピー用紙こそが、抱擁力ナンバーワンの「紙」であると思うのです。

 

もちろん無地であるコピー用紙に比べて、罫線・方眼などが選べるルーズリーフの方が、色んな場面で活躍できると思いますし、なにより紙をファイルに綴じて管理する人にとっては、ルーズリーフ穴が事前に開いているという点でとても便利なのだと思います。

ただ、私にとっては、ルーズリーフの穴は、集中力の落とし穴になってしまうのです。したがって、既に書き終わったコピー用紙に後から穴を開ける方が、自分には合っていると思います。もちろん、書いた部分が「穴」として抜け落ちてしまうということが多発しますが・・・苦笑。パンチを開けて抜け落ちた記述部分が、記憶の「穴」となり、記憶からすっぽ抜けてしまうのです・・・しかし、それでもあえて後から穴を開けて使いたいと思います。