犬雑記帳

どこにでもいる文系修士課程2年生の日常と感情の記録

【祝・卒論完成】卒論反省会

こんにちは、innu_inuです。

 

先日、ようやく卒業論文を完成させることができました。

 

弊学では、卒論提出か、卒論に代わる単位取得・レポート提出をすれば、卒業できる仕組みになっているので、学部の全員が卒論を書くわけではありません。

私は、とりあえず進路のこともあったので、卒論執筆を選択しました。

 

以下、卒論執筆において大変だったことと反省点を挙げてみたいと思います。

 

計画性がなかったこと

一番の反省点がこれです。

今年の2月頃からテーマ決め、章立てをしていたのですが、実際に書き始めたのは、9月頃でした。

 

じゃあ7ヶ月間何をしていたの?というと、資料調査でした。

授業も大して無かったので、たまに大学に行って、資料をドバッとコピーして、数週間かけて資料を処理(要約、重要箇所のチェック)をする・・・の繰り返しでした。

資料を読んでまとめて、すぐに論文として起こせれば良いのでしょうが、私の場合、形にすることもなく、ただただ頭の中で「そうなんだ!面白い!」と思って完結させてしまったり、「じゃあこの場合はどうなんだろう?」と場合分けして遊んだりしてしまっていました。

 

これが一番痛かったと思います。もちろん、頭の中に構成と論理運びが完成されており、あとはPCに打ち込み、文字化してそれを反映させるだけなので、楽といえば楽なのですが、打ち込む時間が非常にかかりました・・・

ちなみに、後述しますが、締切直前に徹夜をしました・・・苦笑。

 

引用の作法を忘れていたこと

これもまた痛かったです。

私の指導教員は、引用の作法を絶対に教えてくれません。

「論文を読んでいるうちに身につくと思います」の一点張りです。もちろんその通りであるといえるところもあるとは思いますが、引用の技術的な側面(再引用や共著の引用など)は、やはり人から教わらないと厳しい部分もあります。

 

学部のときに一度だけ、長めの論文を書いたことがあったので、そのときに多少は引用の作法を身につけてはいたのですが、いざ卒論を書いてみると、「これで合っているのか?」という疑問が生まれたり、「どうだったっけ?」とすっかり忘れていたりしていて、結局は他大学が公開している「引用ルール」を頼らざるを得なくなりました。

 

「引用ルール」をネットで広く一般公開してくださる大学には、心から感謝しています。

 

指導教員とコンタクトがとれなかったこと

私は、先述の通り、「文章」を書き始めるまでが遅い人間です。書くことよりも、頭の中であれやこれや遊ばせる方が好きかもしれません(アウトプットにこそ意味があるというのに・・・と、自分でも自分に呆れています)。

 

だからこそ、書き始める前に、論理的にどうなんだろう?と悩むことや、疑問点がたくさん生まれます。そういった「わからないこと」を、指導教員にききたかったのですが、メールを何度も無視されたり、対面での指導をすっぽかされたりして、ほぼ「放置プレイ」でした。

「卒論なんて、人に見せるもんじゃないから適当で良いんだよ」とか、「あなたは、○○(一番簡単な分析)でもしていればいいんだよ」などと言われ、なかなか相手にしてもらえず・・・さすがに、6月~9月くらいは、心が折れましたね・・・。あまり気張らないよう、気を遣ってくださっているのかもしれませんが・・・。

 

指導教員との関係性は、論文の質だけでなく、論文執筆に必要不可欠なモチベーションにも影響を及ぼすので、できるだけ良好な方が良いと思いました。

 

Wordをいまいち使いこなせていなかったこと

脚注とか文字数・行数の指定といった初歩的なことはできるのですが、相互参照やヘッダーとフッターの設定がいまいち分からず、すごく困りました。

 

とりわけ、今年はPDFファイルで提出とのことだったので、いつものようなごまかし(表紙(+目次)と本文を、それぞれ別のファイルで作成すること)が効かず、表紙(+目次)と本文とを1ファイルの中でしっかりと区別し、ページ数を途中からふるようにしなければなりませんでした。その設定で、一時間くらい悪戦苦闘しました。

 

ちなみに、恥ずかしながら、脚注は手入力で、相互参照もできないので、前掲注カッコないの数字も手入力でした……これだけで、何時間もかかりました…。

 

テーマの発展性がなかったこと

これは、最悪の結末でした。

卒論テーマ決定が2月頃、そしてその時点で、そのテーマを大学院でも研究しようと決めていました。しかし、10月頃になって突然、指導教員が「そのテーマに発展性がない」と言い出したのです。これはまさに寝耳に水、とりあえず卒論に関してはよしとしても、大学院でのテーマの変更は必須となりました。

 

卒論執筆をした理由は、修論にそれを組み込む、もしくは、何らかの形で発表し、それを前提とした内容の修論を書くためでした。さらに、資料収集も、大学院でも使えるから、という思いから、たくさん収集したのでした。

どうやっても卒論テーマは、修論テーマに活かすことができなそうですし、資料もそのテーマに特化したものがほとんどですから、今年1年の努力が、全部ぱぁになってしまいました・・・。

 

まぁ、また気持ち新たに出発できると思い直せばヨシでしょうか。

 

 

資料管理をおざなりにしたこと

とりあえず、コピーした資料は、2穴ファイルにどんどん綴じていっていました。しかし、資料の数が一定数を超えたときに、「あれはどこ?」「これはなに?」という混乱状態に陥りました。ミスポイントは2つです。

 

まず、2穴ファイルは使いづらく、論文管理には向かないと気づけなかったことです。厚みもすごくなりますし、下の方に綴じてしまった論文を取り出すには相当時間がかかります。結局、資料の穴に留め具(プラスチックの結束バンドみたいなやつ)を通すのをやめ、ただ挟むだけになりました。すると今度は、持ち運ぶたびにバサーと中身が落ちたり、紙の端っこが折れまくったりしました。さらには、留め具(はさむやつ)を落としてなくしたりもしました。結局のところ、入れるだけファイルに落ち着きました。

 

 

次に、コピーした資料が何であるかをきちんと記載しなかったことです。よく、資料をコピーする際には―とりわけ書籍の場合には―奥付もコピーしましょうというように言われますが、コピー代がもったいないからとケチり、それをしてきませんでした。その代わりに、それぞれコピーした資料の端っこに判別可能なレベルで書籍名や著者名を書いていました(「判別メモ」)。

 

その作業をさらに、図書館でコピーした直後に本を見ながらすればいいものを、「時間がないし、めんどくさいから」とかいって、コピーしてから一週間くらいたった後に家で行っていました。一週間くらいであれば、文体や内容、レイアウトを見て、「ああこれは○○先生の本だ」と分かって、8割の資料を、何の論文か判別できるのですが、2割はダメです。結局、必死に図書館で該当部分を探したり、章の名前から書籍を探し当てたりして、多くは判別できましたが、残念ながら、何の書籍のコピーか分からず放置した資料が、3つほどでてしまいました。

これからは、きちんと図書館で、コピーした直後に、書籍を確認しながらスグに「判別メモ」をつける必要があると肝に銘じました。

 

そもそも、論文を紙媒体で読むこと自体、「やばい」のでしょう。

他の学生さんはみんな、論文をスキャンしてPDF化して取り込み、macipadをサッと開いて、それらをぱぱっと読んで、appleペンシルでメモを書き込んでいって、なんか凄い論文管理ソフトで論文データを管理しているようです。

 

 

私は、せっせと論文をコピーして、ファイルに入れ、記憶を頼りに全て管理して……という何とも原始的な手法をとっていました。

 

そもそも私は、タブレットも持ち運びノートPCも持っていません……だから、学内で論文をスキャンしてPDF化する作業ができないのです(じゃあ買えば?という話にはなるのですが、金銭的にきついのと、学内WiFiに自分のPCを入れるのが死んでも嫌だという理由があります)。

また、飛蚊症が酷いので、白いPC画面を見続けるのが非常に辛いです。こういった理由から、「やばい」とは分かりつつも、紙媒体で論文管理をしています。

あの日本政府ですらデジタル化を進めようとしているというのに、20代の私が非デジタル化(アナログ化)した手法を好んでいるとは、なんとも恥ずかしい話ですが・・・やっぱり、目の衰えには抗えません。

 

自分なりの「論文の書き方」が身につくのが遅かったこと

「論文の書き方」をレクチャーする本は、世の中に多く出回っていますし、私も大学1年の夏にそれ系の本を購入し、勉強しました。とりあえず、論文の構成とか、論証の仕方とか、引用の作法といった「論文そのものの書き方」は身についた(?)ものの、資料のなかで取り上げたい部分を、どうやって自分の主張の中に組み込んでいくか、それも(自分にとっては)膨大な数の資料がある中で・・・といった問題を解決できずにいました。すなわち、資料を読んで、取り上げたい部分をピックアップしたり、要約したりする作業(ここでは、まだ情報が資料に留まっている状態)と、論文を書く作業とが、断絶していたのです。読みながら書く、エクセルに情報をまとめて引っ張り出しながら書くといった器用さが、私にはないのです。

 

結局、5ヶ月くらい考えた末に、自分なりの、人から敬遠されそうなやり方(それも自分にとってはめちゃくちゃ書きやすい方法)を発案しました。このとき、既に卒論締切りまで2週間でした。もっと早く思いついていれば・・・と悔やみましたが、もし卒論を書いていなかったら、修論直前で同じ悩みにぶち当たっていただろうから、卒論を書いて良かったとも思いました。

 

 

【卒論完成のために12時間ぶっつづけで論文執筆をした話】

卒論締切りは、X月Y日Z時で、Z時直前は回線が混み合うから、早めに出してね、ということでした。

2万字未満くらいで、まだ半分くらいの完成度合いの卒論を本気で書き始めたのが、当日深夜2時。

ただただ、執筆し・・・朝になっていました。

朝7時。

家族が起きてきて、「まだやってるの?」と。

そして、ストーブも点けず、ひんやりとした部屋の中で黙々と作業していたことを言われ、暖房をつけてぬくぬくモード。

朝8時。朝ドラやってるらしい・・・。

あと30分もやれば終わるな・・・・と思いながら、10時。

ここで終わりにもできるけど、もうちょっと書かないと・・・と思い、11時。

あと少し引用したらおしまい・・・と思い、12時になっていました。

 

ちなみに、執筆開始から10時間、飲まず食わずで、横になったのは5分だけ、ただぼけっとする休憩時間を設けることもなく、ずっと椅子に座ったまま作業を続けていました(ちなみに、普通のダイニングチェアに座っていたので、その後、持病である座骨神経痛が悪化しました)。

 

12時半頃完成、しかし、ページ数の挿入に苦労して、13時半。

提出完了したのが、14時頃。

 

結局、12時間飲まず食わずで、11時間55分椅子に座って連続して作業を続けていたことになります。何の自慢でもないのですが、個人的には凄い記録だなあと思っています笑

 

「もう少しやろう」という気持ちが強く、なかなか見切りをつけられませんでした。良さそうに言うのであれば、ミスチルの『終わりなき旅』みたいな感じでしょうか。

 

ゾーン感覚に入っていたのでしょうか?、腰の痛みとか目の痛み、喉の渇きとか空腹といった感覚を一切感じませんでしたし、雑念は一切わきませんでした。また、苦痛など一切なく、それよりも、自分の脳内にとどまっていた思考を自分の手で言語化し、「かたち」をもたせていくことに対する快感を覚えていたような気がします

時間がコマ送りのように過ぎていく、あの感覚を一生忘れることはないと思います。焦ってはいましたが、実は、気持ちよさを感じていました。

 

提出が終わった後は、集中力が切れたためか、頭が殴られたように痛く、ろくに歩けず、這いながら部屋を移動しました。視界は緑色で、宇宙人から変な液体でも掛けられたかな?とすら思いました。

昼ご飯はあるけど、食べる気力がなかったので、ゼミの時間まで仮眠しました。

 

せっかく最後のゼミだったのに、まともに準備をせず、他のメンバーに申し訳ない気持ちになりました。やっぱり、卒論執筆は計画的に行わなければなりませんね。

 

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以上が、卒論完成にあたり、私が反省したこと・考えたことです。

 

これから卒論を執筆される学生さんのお役に立てたら幸いです。