犬雑記帳

どこにでもいる文系修士課程2年生の日常と感情の記録

「漫画やドラマなどの作品に感情移入しすぎる病」がつらくてしんどい-とりわけ「物語に自分が入り込みたい病」について-

ここ最近の悩み、それは、漫画やドラマなどに感情移入しすぎて、精神的にしんどくなりやすいということです。

 

 

私自身、現実に不満を抱えているときこそ、漫画を読んで架空の世界を覗きに行こうとする傾向があるように思います。そういうときに漫画を読むからなのか、ストーリー展開に対してモヤモヤを感じたり、作品のこれからの方向性を場合分けして予測したり、自分がこの作品のキャラクターだったらどう振る舞うだろうかと考えたり、登場人物の性格や発言の意図や意味を考えたり、人物間の発言がそれぞれの人物にどのような影響を与えているのかを予想したり・・・と、私は完全にその物語の世界の住人としての意識を強く持つようになってしまうのです。

 

 

現実と「漫画の世界」とは別物であり、後者はフィクションである、という二元論をきちんと維持したまま、作品を楽しめればよいのですが・・・。どうも私は、そうは考えられないのです。というのは、自分が見聞きできる世界など、ほんのわずかな範囲でしかないのだから、自分が知らない世界で、「漫画の世界」が存在している可能性もあるのではないかと思ってしまうからです。

 

 

 

このことは、私はとりわけそれぞれ登場人物の心理描写が丁寧な恋愛漫画を好むという傾向に由来するものであるかもしれません。

例えば私は、おととしは、原作もぁらすさん、作画袴田十莉さんの『Liar』にどっぷりとハマっていました。

少し前は、桃森ミヨシさんと鉄骨サロさんの『菜の花の彼-ナノカノカレ-』にとんでもなくハマっていました。

今はというと、

広田奈都美さんの『彼の香りと私の匂い』にめちゃくちゃハマっています。

ここに挙げた作品はいずれも、SFとかファンタジーの要素はほぼなくて、まさに「現実」を舞台にした作品であると思います。しかも、登場人物のなかに妖精や神様といった「架空の存在」出てくることもありません。だからこそ、今私が生きている現実と同じ世界線で、このような漫画の物語が存在しうると思ってしまうのです。

 

 

 

とりあえず、抱え込んでいる感情を吐き出せば、感情移入の度合いも収まるんでしょうか・・・。(ネタバレを多少含みます)。

先ほどの『彼の香りと私の匂い』についていえば・・・(8巻まで、途中とばしとばしでしか読んでいないのですが、)

黒木先輩、かっこよすぎ・・・イケメンで私のドタイプ。奥目っぽくて、黒目がちで、少し眉毛太めのモッサリ・・・骨格も・・・すき・・・。現実に似たような男性(服装も、顔立ちも)を見たことがあるから、やたらリアリティを感じてしまう。しかも、これまで恋を知らなかったとか、かわいすぎる。みどりに依存しすぎて、みどりの言動一つ一つに振り回されて、心を消耗してしまうところ、少し暴走しすぎてしまうところも、かわいくて推せる。なにより、激しい肉欲を抱えているというだけでなく、おだやかな対話も好むというところが素敵。誠実で、優しくて、乙女で、普段はおだやかで、かっこよくて、ちょっとめんどくさくて、自分に自信がないところが好き。こういう人が彼氏だったら良いね、ちょっと重いけど、愛する覚悟があるよ。(浮気するところまではそう思えていた)

なーんで浮気してるんだよ…どんなに寂しかったとはいえ、浮気はだめだろ!恋愛経験が少なすぎるがために、「寂しさ」に、「自分」に弱すぎて、浮気・不倫してしまうのはある種『だろうな…』感はあるけども。浮気しながらもみどりのことがすきみたいだけど、結局は、香はみどりの身代わり人形なの!?なんなの!?なぜか香のことも欲しくなるって・・・先輩、いつからそんなに強欲になったの!?てか、あんなピュアで一途だった先輩が、突如として浮気しても妻の前で自分を乱さずにいられる人間になってしまったということが、ショックでたまらないよ・・・どういうスタンスなの!?「想いがないっていったら嘘になる」とはなに!?(混乱)先輩、なんかもうタダのめんどくさい女々しい男みたいになっちゃってるし、とにかく痛々しいよ…どす黒くなってしまった先輩に幻滅だよ…。

みどりもみどりで、自由奔放。なんだよ、白川のことも好きって…不誠実じゃないか。まして、先輩と結婚して、その後、先輩を放置するとか、なんなんだ!いっそ結婚しないほうが良かったよ…。そりゃ先輩も5年も不倫を続けるわな!もとはといえば、みどりがふらふらとして(おそらくそれは自分が自由でいたいが為の態度)、先輩と距離をおこうなんていうから、先輩は変な女(香)にとりつかれてしまったのでは!?「わたしが先輩のそばにいたら傷つけちゃう・・・」という考えについて、私としては、その考えこそが先輩を傷つけてしまうと思う。先輩は明らかに依存型の人間であり、そういう人は、依存対象が自分から離れていくことを極度に恐れるし、依存対象がなくなったときは、それと似たものを探すし、依存対象が自分の物にならないときは、その不安を似たもので埋めるもんだと思う。先輩のその性質を見抜けなかったのか、それとも、見抜いていてあえて目をそらしたのか。

みどりの前向きな姿勢、ポジティブさ、長いものに巻かれようとせず、物怖じせずに男社会・タテ社会に異議を唱えて、対等さ・正しさを追求していく姿勢は大変素敵だし、私自身見習いたいと思う。けれども、恋愛に関して、自分の本当の気持ちに対しては真正面から向き合っている感じがないし、相手ときちんと向き合うことや「一つの結論」を出すことから逃げているように感じる。みどりが出す結論は、どれも独りよがりなものであると思う。その結論は、相手にとってよいものであるだろうと思って決断するみたいだけど、それは少し間違っている。愛される側の傲慢さか?みたいな白川の発言があったと思うけど、まさにこれなのだろうか。もちろん、本能的に惹かれる人間と、理性的に惹かれる人間のはざまで気持ちが揺れることは、一般的にあるだろう。しかし、この日本の法制度を鑑みれば、"ひとりにきめる"ということがルールであるし、もし本当に選べないというのであれば、どちらも選ばないという選択をすべきなのだろう。それなのに、みどりは、先輩と白川の間で揺れて、どちらかに寄って、また戻って・・・ということを繰り返しているように思われる。これが魔性の女ってやつなのか!?みどりは、自分で自身のことを「サイコパスかも」みたいに言っていたと思うけど、そういう人のほうが幸せになれるんだろうか!?私だったら、先輩を放っておくことはしないし、おそらく、仮に白川を好きでも、抱かれたいとか思わないよ・・・人に対して誠実でありたいから。おそらく、先輩は人に対して誠実で、純粋さも兼ね備えていると思うが、先輩は、ある意味で「破滅」してしまった、精神的に。みどりみたいに器用ではないし。そう思うと、誠実でいることは、恋愛においては、自分を破滅させる要因ともなりうるのか。

そうとも限らないかもしれない・・・というのは、先輩は一般の人よりもとくに純粋で、相手に対する依存心が強いからだ。これまで自分という存在を受け入れて貰ったことのない人間は、ある日突然自らが誰かに受け入れられると、その誰かにとくに依存する。実際、そういった描写も多々あったと思う(「こんな俺を受け入れてくれる・・・」)。依存先をその「誰か」のみにするのはいいとしても、その「誰か」に依存できないときのフラストレーションを適切に処理(例えば、趣味や仕事)できるようになれば、先輩は浮気なんてしなかったんだろう・・・。また、先輩は、なぜか欲情が暴走する場合が多いみたいである。となると、先輩は一般的な「誠実な男性」像とは少し違った人物といえるのだろう。

てか、これまでモテなかった男性に彼女ができると、急にモテ出すのなんなんー!?自信がついて輝いて見えるからなのか!先輩、不倫してたこと、それを隠してたことはぜっっったいに悪いけど、みどりも悪いし(私だったらみどりみたいなことはしない・・・)、どちらかといえば、先輩のほうがかわいそうとすら思うんだよ・・・私がきちんと先輩と向き合うからさ!!!!ねぇ!!私に先輩をちょーだい!!

 

みどりは、先輩のことを好きだったのかな・・・何も知らなかった頃の先輩との日々が幸せだったと思い返しているシーンで胸が苦しくなってしまった・・・うぅ・・・続きが気になる泣。(可能であれば、みどりにも『誰かに取られたくない』みたいな独占欲に近い気持ちとかを知ってほしいなと思う。)結局、みどりも先輩のことを愛してたってことじゃないの!?白川への気持ちは、恋みたいなものなのでは?!

(・・・というか、この漫画、恋愛漫画としても面白いのだけど、実は色んな二項対立をはらんでいて、ますます面白い。ぱっと思いつくだけでも・・・黒木と白川、男と女、会社で生き抜くための正しさと道徳的な正しさ、誰かに依存する女と独りで自立する女、本能と理性、普通の人と「異端の人」、正規雇用と非正規雇用、愛される女と二番手にしかなれない女、結婚と恋愛、誠実と不誠実、一つに選ぶことと何も選ばないでいることなどなど・・・。考えさせられる。)

 

 

 

 

というふうに、一つの作品に対して、あれやこれやと考えや妄想が止まらなくなるのです・・・(実は、まだ全話読んでいないのです、読めば読むほど深みに入って、さらに思考がとまらなくなる)。四六時中、このことで頭がいっぱいになります。周りから見ると、常にぼーっとしているみたいです。

 

上記の感想に対して、下線を引いた部分がありますが、これこそ、私が一番困っている「漫画の内容の現実へのあてはめ」や「漫画の世界と現実の世界の"融合"」です。漫画の内容と、今私が生きている世界は、完全に別物です。しかし、その世界を現実に落とし込んで、それがどうなのかということを考えたり、その世界に入って自分もキャラクターと向き合いたいと強く願ったりしてしまうのです。前者については、ある種、現実とも近い「人間観察」であるともいえるのですが、後者については、絶対に実現することはできません。それなのに、実現したいと思ってしまう・・・。二次元キャラと恋したい!みたいな気持ちと近いのでしょう。もっとも、私は恋愛漫画に限らず、巧妙な心理戦を背景とした社会派漫画の場合でもそのように感じるので、もはや「二次元の住人になりたい!」みたいな気持ちのほうが強いのでしょう。

 

 

 

遅すぎた「中二病」なのでしょうか・・・いや、よくよく考えてみれば、私は「物語の世界に自分が入り込みたい病」を、五歳くらいのときから発症していたようです。

私の初恋は、ゲームのキャラクターで、それも動物です(半分人間、半分動物というキャラ)。とくに恐ろしいのは、私の幼少期の絵には、その動物キャラと結婚式を挙げているものが多いということです。この頃から、二次元と恋できると思っていたとか・・・痛すぎる。

 

 

 

そういうわけで、23歳になった今でも、「漫画やドラマに感情移入しすぎる病」、とりわけ、「物語に自分が入り込みたい病」が酷いのです。

この「物語に自分が入り込みたい病」は、物語を読んでいてもしんどいし、とにかくつかれます。何せ、当事者目線で読んでいるからです。登場人物の言動に、この私が一喜一憂しています。

そして読み終わって作品を振り返っているときも、自分のこの「物語に入り込みたい」という願望は、決して実現されることはなく、だからこそ、その実現されないという現実に不満を感じてしまうのです。

それでも、結局、意識はその作品の「中」にあり続けることになります。

 

 

 

私もまた、依存性が強いのかもしれません。その対象が人物ではなく、コンテンツであったというわけです。

私自身、何でも話せる家族はいますが、友人や恋人などの関わりはほぼありません。敵意むき出しの指導教員と研究室同期との関わりはありますが・・・(トホホ)。私が、このような「不健全なコミュニティ」(話せる人が家族しかおらず、それ以外は全員「敵」であるという状態)に居続けることが問題なのかもしれません。そういえば、一時期、今よりももっと酷く作品に感情移入してしまい、日常生活をまともに送ることができなくなってしまった時期があったのですが、その頃は、ちょうど学内で嫌がらせを受けていて、クラスでは四面楚歌状態にあったということがありました。やはり、「不健全なコミュニティ」にいるからこそ、現実の世界(=外の世界)に向かって、自分を展開していくことができず、自分の中にこもっていくしかないのかもしれません。

 

 

 

このままいくと、作品の「中」に意識がずっと入り込んだままとなってしまうし、それによって、今現実世界を生きているという「生の感覚」すら失われてしまうでしょう。少なくとも最近は、自分がこもることができる「殻」(概念)が厚くなってきてしまったと言いますか、自分の「音響室」の壁がどんどん厚くなってきてしまったような感じがします。作品の「中」に自分の意識は取り残されているけれども、やはり自分は現実を生きなければいけない―――その結果として私は、内なる世界に引っ張られて、ますます自分の意識がそこに向くようになってきていて、それと比例するように、現実世界の肉体としての「私」は、現実世界において「無」となってきてしまっているようです。

 

 

どうしたものでしょうか・・・やはり、まずは「不健全なコミュニティ」を改善することが必要なのでしょう。そして、興味の対象物を分散させたり、有体物に対して興味をもつようにしたりしていくことが必要なのでしょう。根本的に改善するならば、24時間ものごとを考えるくせをやめるということも必須でしょう。

うーん・・・自分で言っておきながら、難しいですね・・・幼少期からの問題だからなおさらです。心療内科に行くのが一番手っ取り早そうではありますが・・・。現実的な対策を少し考えてみたいと思います。