犬雑記帳

どこにでもいる文系修士課程2年生の日常と感情の記録

指導教員という「人生の反面教師」ー相手を尊重するとは?ー

こんにちは。

私は、今年の春から修士課程の2年生になりました。

 

学部の2年生の頃から(大学院へは内部進学)、現在の指導教員からアカハラを受けており、修士1年になってからは、さらにそれがひどくなり、ついには、指導教員と連絡を絶つようになりました。まぁ、そもそも指導教員にメールを送ったところで、返信は基本的に来ないし、1対1で指導をしてもらえたところで、人格を蹂躙するような暴言を吐かれるだけなので・・・。

 

 

ネガティブな話題はさておき、この記事で書きたいことは、

私の指導教員が、あまりにもクソ過ぎて、もはや「人生の反面教師」にすらなりつつある

ということです。

 

 

 

 

1. 自分が”思う”「常識」「ふつう」でものごとを評価するな!

私の研究スタイルについて、指導教員は、揚げ足をとってただひたすらに文句を言ってくるのですが、その際に必ず言ってくるのが、「○○の常識では~ありえない」「普通は~絶対ない」といったものです。すなわち、指導教員は、指導教員のなかの「常識」をふりかざして、相手の言動を評価してくるのです。

その「常識」とやらが、本当に常識なのであれば、その指摘を受け入れようと思います。しかし、指導教員の場合、その「常識」は、常識でないことは明らかなのです。

 

 

自分のなかの「常識」をもとにして、誰かの言動を判断することは、非常に危険なことだと思います。仮に世の中の共通了解としての一般常識があると考えるとしても、その人のいう「常識」がその一般常識と合致するかといえば、必ずしもそうであるとはいえないはずです。むしろ、そうでない場合が多いでしょう。指導教員は、「常識」なんてもっともらしい言葉をつかって自分の思い込みを正当化しようとしていますが、これは、本当に間違っていると思います。これは、「常識」なんかではなく、ただの偏見・思い込み・凝り固まった考えなどで呼ばれるものでしかないでしょう。

 

 

自分のなかにある価値観や常識が正しいわけなんて、ほぼないのに(明らかに正しいといえるのは、法律で禁止されたことを守ろうとする、遵法意識のくらいでしょう)、それをもとにして、誰かを評価するなんて、おかしなことなんです。

 

 

 

2. 誰かの「できないこと」は、その人にとって本当に「できないこと」であろうこと

私は、指導教員から異様な量の予習を押しつけられてしまったことがあったのですが(その量は、ほかの教員からみても異常な量であった)、その際に、その量をこなすことができないと主張しました。しかし、その私の「できない」という主張は、指導教員からすれば、「しない」だけであると言われてしまったのです。

 

 

 

この、「できないと主張するのは、甘えでしかなく、また、できない理由は、本人の努力不足であったり、しようとしないだけであったりするだけである」というのは、ある種のエリート理論だと思います。というのは、自分にできないことがないと感じている人間ほど、このような感覚を抱きがちであるようだからです。現に、私の指導教員は、大学教授という、一般の人々がうらやむようなエリートであるわけで(どういう経緯で大学教員という職にありつけたかということは、普通の人々は知らない場合がほとんどです)、ある種の無敵感を身につけて生きているからこそ、このような発言ができるのだと思います。

 

 

しかし、世の中には、何をどう工夫してみても「できない」という場合があります。また、世の中にいる人全員が、お互いに「できるはずだ」と思うようなことができるとも限りません。このことを理解することなく、相手にも自分と同じ水準を当然のように要求し、それが要求しえないからといって、相手をダメな人間だとして烙印を押すようなことは、してはなりません。

 

 

 

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以上に挙げた2つのことは、私自身がこれまで他人に対してしてしまったことがあることでもあります。自分がいざ、人からされてみて、これほどまでに苦痛なものであることが身にしみてわかりました。

 

 

相手のことは、相手の価値尺度や相手の能力など、自分にはわかりかねる要素によって決まっているはずなので、自分のなかの判断枠組みで相手のことを考えすぎない、ということを心がけていきたいと思います。相手の考え方を理解しようとする、その姿勢こそが、相手を尊重することに繋がるのではないでしょうか。

 

 

 

(余談)

2年生になってから、久々に指導教員が何か言ってくるなと思っていたら、こっぴどくやられてしまいました。しかし、今の私は、昔の私(M1の私)とは違い、やられっぱなしではありません。3月に通った自動車教習所で出会った指導員の方々の話術をさまざまに取り入れて、指導教員を翻弄させてみました(翻弄させたと思っている)。礼のない人間に、礼を尽くす必要なし、ということで(そりゃもうアカハラだし)、好き勝手やりました。いやぁ~、すっきりしました(とはいえ、私は心の弱い人間なので、さんざん暴言はかれまくった後に研究室でひとり何十分も泣いてしまいましたけどね・・・。てか、関係ないオーディエンスがアカハラ指導教員に加勢して、n対1で言ってくるなんて、どうかと思うぜ!!!!)

心の中には、指導員の方々からもらった言葉が生きている・・・・・・そのように思いましたし、なんだか心強くなりました。教習所に行って良かったなぁ~。

一つ諦めた分、一つ手に入れたものがありました。