犬雑記帳

どこにでもいる文系修士課程2年生の日常と感情の記録

自動車教習所で過ごす非日常

今月の上旬から、自動車教習所に通っています。普通自動車免許を取得するためです。

 

 

4月からはまた指導教員による「しごき」などによる地獄の生活が始まってしまうため、免許を取るなら3月中に、と思い、短期の通学合宿コースを選択しました。今は、毎日(!)頑張って教習を受けています。

 

 

私は、あえて地元の教習所には通わず、祖父母宅のある市内の、母の出身校である教習所に通うことを選択しました。自宅からはかなり離れていて、電車と送迎バスの時間を合わせて50分くらいかかる場所にあります。そのため、いろんな方から「ずいぶん遠くから通っているね」と言われます(祖父母からも非常に驚かれました)。

 

もっとも、遠い、と言っても、なんやかんや春休みに普段とは違う方向に行くのは、非日常的で非常に楽しいですし、私自身、その地域に行くことをいつも楽しみにしているので(行きつけの美容院がその地域にあるのですが、そこの美容師さんに、「あなたはいつもこの街を満喫しているよね」と言われます)、通学すること自体に負荷を感じるようなことはありません。

 

 

その教習所を選択した理由は、他にもあります。それは、地元ではないところの教習所に通う方が、圧倒的に気が楽であると感じることです。現に、のびのびとした教習所生活を送っています。ここには、絶対に知り合いはいない―このようにわかっているだけで、変なプレッシャーがかからなくなります。

また、知り合いがいないからこそ、年齢に基づく劣等感を変に感じる必要がないということです。私は、現在23歳なのですが、今教習所に来るような人の多くは、高校を卒業したばかりの18歳の子達です。すなわち、私は、そのような大多数の子達に比べて、免許をとるタイミングが遅い、ということになります。このことについて、私は、免許を取るタイミングが早かろうが遅かろうがどちらでもいいと思っているので、あまり気にはしていません(一生持たない人もいるくらいです)。とはいえ、入校前は、なんとなく、私は、多感で未来ある若い子たちに対する劣等感を抱かざるを得ないのかな…と思っていました。しかし、いざ入ってみると、知らない子たちだからなのか(そうでなくてもなのか)、年下の子たちのことがなんとなく微笑ましく感じられるということがわかりました。5歳も離れていれば、こんなもんなんですかね。春から入学する大学のレベルでマウンティングをとりあう人たちを見ても、「大変だなあ」くらいにしか思わなくなりました(昔は、なんとなく自分の心がザワついて、劣等感に苛まれることがほとんどでした)。

 

 

このように、距離の遠い、普段は行かない場所であるという点、また、周りにいる人たちが普段よりも総じて若いという点、知り合いが全くいないという点で、この教習所ライフは、私にとって非日常的なものであると感じられるわけです。

 

 

教習所での教習に関しても、予想していたよりも非常に楽しいことが多く、変に気張らなくてもいいので、この点についても非日常的であると感じています。

指導員の指導は、本当に素晴らしいなと思っています。すなわち、指導員の指導の方法に感動することや、話術の上手さ、学生の褒め方の適切さに感服してばかりです。そのため、私は、自動車の運転を学びながら、"適切な指導のあり方"をも学んでいるような気がしています。指導員の方たちのような人が大学院にもいてほしいな〜と切実に思っています。

 

 

最初こそ、(自分でその選択をしたくせに)不安しかありませんでしたが、数日通ってみた今となっては、楽しさと学び、そして指導員に対する尊敬の念しかありません。ここまで充実した日々を送れていることこそ、非日常的なものです。

 

 

 

 

 

ちなみに、私が唯一、教習所にかんすることで後悔していることがあります。それは、多感な時期に教習所に通わなかったからこそ、「教習所マジック」とやらをどこか遠くから見てしまうということです。この「教習所マジック」という言葉自体、23年間生きてきて一度も聞いたことがありませんでした(ゲレンデマジック、はある)。どうやら、数年前から使われだした言葉で、教習所の教官に、吊り橋効果からなのか恋愛感情を抱いてしまう生徒がいるようです。

知恵袋やツイッターでもちらほらそのようなマジックにかかった人を見かけたのですが、私は、なんだかそれが微笑ましく、そして尊く感じられてきてしまいました。すなわち、自分がマジックにかかるというよりかは、マジックにかかった人を遠くから尊さの対象として見てしまうというわけです。なんだか、かわいいね…いいなあ…と思います。私は、多くの人が「教習所マジック」にかかる時期に、違う場所で違うマジックにかかっていたので、ぜひとも教習所でかかってみたかったな〜と思います。

 

 

もう23歳にもなると、指導員に対してそんな邪な感情を持つこと自体、申し訳なくて無理です。これまで、歳が近かったり、同い年だったり(これが一番驚いた!なんだか嬉しかった!)する指導員の方に当たり、そういった方々とほんのちょっと話しただけでも素敵な方だな〜と思いましたが、恋愛感情を抱くことなど不可能です…圧倒的な申し訳無さと、見込みの無さ(たいていそういった素敵な方には、決まった人がいるのですよ、みなさま)によって、スン…と理性的になるからです。理性がぶっ飛べば、「ホス狂い」や「リアコ」と変わらなくなってしまうな〜なんて思っています。したがって、そのときそのときの、一瞬の夢みたいな楽しさとして思い出の一つになれば、それはそれでこれからを生きる糧になっていいんじゃない?というスタンスでいろいろな出来事を捉えることにしています。

(ちなみに、この記事を読んでいらっしゃる方で、教習所マジックに悩んでいる方に朗報です。私の母の友人の両親は、教習所で知り合いました。父親が教官、母親が生徒だったそうです。希望が持てそうですね!草草の草。)

 

 

今が非常に楽しいので(運転は下手だからいつもヘコみますが…)、教習が終わって、また4月から研究室で過ごす頃には、「本当にあの時間はあったのだろうか、幻でも見ていたのではないか」なんて思うのではないかと思います。確かに、その時間を過ごしたはずだけれども、その「事実」に対する確信も実感も持てないのではないか、というわけです。私は、確実に「教習所ロス」になると思います。あれ、これこそ「教習所マジック」…??

 

 

ともかく、いつか懐かしむであろう日々を今生きているということが、エモくて仕方ないです、最高です!

 

教習所の日々は、「ただ春の夜の夢の如し」。

 

 

仮免許を無事に取得したので、安全運転を心がけて路上教習に臨みたいと思います!