犬雑記帳

どこにでもいる文系修士課程2年生の日常と感情の記録

藤巻亮太さんの「本の読み方」

私は最近は岩波文庫を読むのが好きなのですが、岩波文庫の公式Twitterで、歌手である藤巻亮太さんのエッセーが紹介されているのを見つけました。

この記事では、藤巻さんが、西田幾多郎善の研究』(岩波文庫、2012年)を読み、内容理解に取り組んだ話が書かれています。

 善の研究 (岩波文庫)

 

善の研究 (岩波文庫)

 

 

 

 

 

私がこの記事を読んで、ハッとさせられた部分があります。

はじめて1ページ目を開いたとき、そこに何が書いてあるのかまったくわからなかった。僕はもちろん日本語が母国語だし、普通に教育も受けている。だが、この本を読み始めたとき、ガラスの壁にむかってロッククライミングをしているかのようだった。どこにも指がかからず、どこにも足がひっかからない。そんな錯覚におそわれたのだ。

難しい哲学書に限らず、法律や政治学の本でもそうなのですが、日本語で書いてあるからと言って、理解できず、文字の上をただ滑るだけの感覚に陥ることがあります。文章の意味、中身が全く頭に入ってこない、内容を理解する手掛かりとなるものすら見つからないことがあるのです。

(このような感覚のことを「ガラスの壁にむかってロッククライミング」と表現するとは、さすがミュージシャンで、表現力に富んでいるなと思いました。)

 

その理由としては、自分の知らない日本語が使われていること、その文章の前提となる事項、つまり背景となる事情や時代背景を知らないことが挙げられると、私は考えています。

 

 

そしてその後、藤巻さんはこの本の内容を理解するために、以下のような取り組みをしたと語っています。

まずは一度とにかく通読した。2度目は図書館にこもり、わからない言葉や、わからない概念などは辞書をひきながら、自分なりにこうではないかと解釈したことを付箋に書き込み、それを張り付けながら読み進めた。通算で何度読み返したかわからない。そして、その後、大学の先生や作家などが集まって『善の研究』を議論する場にも運よく飛び込みで参加させてもらうなどわかろうと努力はした。

( この記事には、付箋がたくさん貼られて膨らんだ文庫の姿の写真が掲載されている。)

 

この藤巻さんの語るところから、藤巻さんにとっての「本の読み方」は、以下のようであると分かります。

・まずは通読

・わからない言葉、概念を調べる

・自分なりの解釈を付箋に書きこみ、貼り付ける

・他者と話し合うことで理解を深める

 

とくに最後の他者と話し合って理解を深めることは、大変有益なことだと思います。自分の解釈を、他の人に客観的に捉えてもらえる機会であり、また間違った部分があればそれを是正することができる機会であり、さらに考えもしなかったような新しい発想を得ることができる機会であるからです。

 

しかし、他者に自分の解釈を伝えられるようになるまでが大変ですよね。しっかり内容を自分の中に落とし込み、かみ砕き、また、それを自分の言葉で説明できるようにするのです。私は、この段階が一番苦しく、辛いものであるとともに、自分とじっくり向き合うことができる贅沢な時間であると感じています。

 

 

余談ではありますが、飛び込みで「『善の研究』を議論する場」に参加するほど、この本の内容を理解したいという強い思いを持っていて、とても尊敬します。これこそまさに、「研究する」ということなのだと思います。私もこういう姿勢を見習わなければと思いました。

 

 

 

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この記事を読んで、私は『なるほど、こういう読み方があるのかぁ。すごいなぁ。』とただただ感心してしまいました。

 

私はこれまで、そのように一冊の本ときちんと向き合ったこともなければ、藤巻さんのような本の読み方を実践したこともなかったのです。

 

 

私はそもそも読書が苦手な人間なので、長期間同じ本を読むのが嫌いで、新しい本を手に取ることをモチベーションにして本を読むような人間なんですよね…。

ただ、最近は読書を頑張って意識的に生活に取り入れるようになったので、いくらか本に対する抵抗感は取れました。そこで、もう少し本の内容に深く入って読むような習慣をつけようと決めました。

 

 

藤巻さんの、この「本の読み方」は大変参考になりますね。

私もこれをきっかけに、自分なりの「本の読み方」を見つけていきたいと思います。