犬雑記帳

どこにでもいる文系修士課程2年生の日常と感情の記録

「研究」とはなにか

最近よく、『「研究」ってなんだろう』とよく思います。

 

そういえば自分が大学生である頃に、同じ授業を取っていた女性が「私は今、〇〇について研究しています。」とハッキリと、教授に話している様子を見て、驚いた記憶があります。

 

す…すご…自信をもって、「研究しています」と言えるなんてすご…、と。

 

実際、彼女は学術論文を上げている様子もなかったので、研究の実態はよくわかりませんが、ともかく「研究」していたようです。

 

また、自分の昔の知人は、自身を「料理研究家」と言っていました。特に著作を出していたり、メディアに出演していたりするわけではないのですが、自身がお店を間借りして料理を提供しているということで、「研究家」と称していました。

 

なるほど、世間から認められていなくても、「研究家」であるし、世間からその業績を認められていなくても、それは「研究」のようなのです。

 

ここまで読まれた方は、「なんだか否定的、批判的じゃん…」と思われたかもしれません。少し、否定的な立場からの見方かもしれません。

 

私は「研究」というものを、非常に高尚なものだと思っています。特に究めなければいけない、一般の人よりもその分野について深い知識を持っていなければいけない、世間から認められなければいけない、そのように考えています。

 

あくまでも個人の見解であります。

 

それでは、「研究」を辞典で調べてみると…

つまり、私が「研究」の要件で挙げていた、

・客観的な評価

・知識の深さ

は、「研究」と呼ぶのに値するかそうでないかを判断する基準ではないようです。

 

その調べたり、考えたり、明らかにするといった行為が、「研究」という言葉の重要な側面を持っているようです。

 

だから、冒頭に挙げた二名は、立派に「研究」をしており、「研究家」であったわけです。

 

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私も深く追求したいと思っているテーマがあります。

ただ、そのテーマを人前で話すときには、必ず、『研究しています』ではなく、『「下手の横好き」って感じで、調べたり考えたりしてます。」と言ってしまいます。もちろん、相手の表情は凍てつきます。(リアクションに困りますよね…)

 

なぜそのように言ってしまうのかは、もうお気づきだと思いますが、自身の研究活動が実際に客観的な一定の評価を得たことがないからです。

 

そうすると、どんどん自信がなくなっていき、最終的には「趣味です」とまで言ってしまうのです。

 

ただ、辞書の意味、二人の存在を踏まえれば、私も「研究しています」ってハッキリ言ってもいいのかなあ…なんて思うこともあります。

 

それでもやっぱり自信がないので、一丁前に「研究しています!」と言えるように、一定の基準の評価を得られるように頑張らねばならないのだと思いました。