犬雑記帳

どこにでもいる文系修士課程2年生の日常と感情の記録

〔独白〕ぼっちで卒業式に参加したけど、とても楽しかったので余韻が凄い。

こんにちは、innu_inuです。

 

先日、卒業式に参加し、学位記を頂いてきました。

私は、友達もいないし、指導教員も当日は学校に来(れ)ないということで、正真正銘の「ぼっち」でした。それでも、頑張って参加してみたら、思った以上に楽しくて、予想に反してめちゃくちゃ思い出に残る日になりました。

この記事を書いている今は、卒業式から既に数日以上経っているのですが、未だに余韻が凄い…「祭りのあと」という感じなんです。

 

そんなわけで、卒業式の余韻に浸りながら、卒業式の想い出を記録として本記事に残していきたいと思います。

 

 

突然の式典参加決意

そもそも卒業式に参加するつもりは、なかったんです。なぜなら、春から大学院に内部進学する身だし、何せ友達がいないから。

 

けれども、突然、そうはいかなくなりました。それは、卒業式でなぜか大役を任されたから。

人前にでなければいけなくなったわけです。

 

そうとなれば、本気で準備するしかないでしょう。

 

袴姿になろうと思い、袴の準備。

手持ちの(親の)着物を着るために、代わりにこれを管理してくれている祖父母に連絡。長年通っている美容院の予約の電話(めちゃくちゃ急なのに対応してくれて、神…。感謝です)。レンタルだと汚したり破いたりしたときの賠償金が怖いので、袴を注文(業者さんに迅速にご対応いただけて、本当に感謝です)。必要なものは、ネットショッピングで探しまくって注文。

 

この準備期間、本当にバタバタしていて大変でした。

自分で「式典に袴姿で参加する」と決めたのですが、本来「袴で参加しなければならない」というルールはありません。だからこそ、「わざわざ、ない見栄をはろうとするから、こんなに大変なことになるんだ」と自責の念に駆られました。

この意志の弱さが、周りの家族に迷惑をかけまくったのです…ほんとにだめな人間だ。

 

 

ネガティブ思考を植え付ける事実

なんやかんや、「やると決めた以上は…!お金もかかってるし、もう止められない!」と心を鍛えながら、袴関係一式を揃え、式典の前日を迎えました。

 

 

式典の前日は、一応「リハ」ということで、当日の動きを確認するというものでした。そこで、衝撃の事実を知ったのです。

※ここで事実を書くと特定されてしまうかもしれないので、メチャクチャぼかして書きます。

 

あんただけやで〜と言われてたのに、あんただけやなかった。てか、紛らわしい同一地位の人がいはった。

 

といったところでしょうか。

私はショックを受けました。紛らわしい同一地位の人が私含めて二人もいたら、どうせ「こっちが本物で、あっちは偽物」などと言われるのだろうと思ったからです。役割は違えど、同じ呼び名の人が二人もいたら、多くの人は、どっちかが上で、どっちかが下などと考えがちかと思います。

 

そういった「紛らわしい存在」になるのが苦痛でたまらず…。

結局、そういったマイナスの気持ちは消えぬまま、式典当日を迎えるのでした。

 

 

式典当日

ついに式典当日。

長年お世話になっている美容院から学校まで移動するには、大変時間がかかります。そのため、深夜からヘアセット・着付けをお願いすることに。

 

深夜、暗闇の中、ぽつんと光る一軒の建物(美容院)が、心を暖かくしました。

「ああ、こんな私を待ってくれてるんだ」

 

ニコニコと美容師さんが出迎えてくれ、楽しく会話をしながら、ヘアセットと着付けをしてくれました。

 

 

仕上がりが最高。素晴らしい以外の言葉が出ない…なんて美しいんだろう、と、自分の袴姿に見とれました(私のようなブサイクな素材を綺麗な方へ生かしてくれる天才美容師さんなんです)。

髪型も着付けも、とても素敵なんです。

きれいに仕上げてくださって、本当に感謝です。

 

このあたりから、昨日のマイナスな感情や憶測は、どうでもよくなりました。

 

るんるんで大学へ向かい、堂々と式典の座席へ着席。

隣の席には、その紛らわしい存在の一人が座っていました。でも、そんなことはもはやどうでもよかったです。それは、自分の袴姿がきれいで、大好きだから。もともと少しナルシシスティックな側面があるのですが、当日は、自分のことが可愛くてしょうがなかったです。

 

人からどう思われようが、どうでもよくなりました。自分さえ良ければ…(良い意味において。誰かとの間に損得が働かない場面において)。自分で自分を正当に評価し、自分に100点満点をあげられれば、周りのことなんてどうでも良いということに気づいたのです。

 

式典は無事終了。

その後もなんやかんやあって、楽しかったです。

 

 

かつて薄い「つながり」があった人たちとの「最後」

事務的な書類をもらうために並んでいたところ、背中が生暖かく感じられ(きもちわるいほどの温さを感じた)、「なんだ?」と思いました。

 

「おーい、久しぶり。」

 

私にではなく、私より前に並んでいる同期に話しかけていました。なんだか聞いたことのある声だなあ…と思い、考え込んでいたところ、

 

サーセン、ちょ、サーセン

 

とこちらに謝りながら、私と数名を追い抜かし、前方の友達の方へと割り込んでいきました。

そのときようやく、「ああ、一、ニ年のゼミの同期で、同じクラスの子だ」と気づきました。

 

2年もゼミが一緒だった上に、語学のクラスも一緒だったので、なんとなく、勝手に親近感を覚えていた人でした。

友達と合流すると、春からどこどこに就職するんだとか、地元には帰らないんだとか、そんな話で盛り上がっていて、「彼も立派に就職するんだなあ…」と、思ったのでした。勝手に親近感を抱いていた学生といえば、彼を含めて二人だけでしたから(少なすぎ)、卒業式という日に彼を見れて、なんだか良かったなと思いました。あれ、これってストーカー的?

 

ほかにも、敷地内には、かつて私に罵声を浴びせてきたような嫌いなやつから、ただの顔見知りのやつまで、様々いて、なんだか懐かしい気持ちになりました。2年間もまともに大学に行ってなかったので、気分は大学2年生に戻ったような感じです。

 

 

古きを温めても、新しきを知っても

たまたま真後ろにいた方は、かつて学部の授業で一緒になった先輩でした。一緒に実習をした方でしたが、連絡先を交換するまでの仲ではありませんでした。

先輩は、弊学の大学院を修了されたということで、卒業式に参加されていました。

 

かつて知り合いだったとはいえ、今更話しかけられても困るだけだろうか…?

とはいえ、覚えてもらっていなくても、新しく「大学院の後輩」として覚えてもらえばいいのでは…?

 

と悩み、思い切って声をかけてみることにしました。 

すると、やはりすぐには思い出されなかったものの、「あああなたね!」と社交辞令なのか分かりませんが、思い出したと言ってくださり、色々とお話をすることができました。 

 

自分だけが覚えているような「古い関係」に固執しすぎたり、また、それを相手に押し付けたり、さらに、古い枠組みのなかに相手をはめ込んだりする必要はなく、反対に、新しく関係性を構築していけばよいのだということに気づきました。覚えていてくれているだろうか…と思うと、声がけするのは少々萎縮してしまいますが、いっそのこと、新しく友達になろうという方向へ割り切ってしまえば、そういった恐れはなくなります。

 

 

大学時代に気になった唯一の学生

大学時代にできた友達は、一人もいません。

友達を作ろうという気は全くありませんでしたから、当然の結果です。

もちろん、恋人も一人もできませんでした。

 

しかし、ただひとり、気になる学生がいました。

語学のクラスと1年のときのゼミが一緒、その後、何度か少人数の授業で一緒になった学生で、かつ、事務連絡をするために連絡先を交換した学生でした。彼こそが、先ほど述べた「勝手に親近感を抱いていた2人の学生」のうちの1人です。

 

「好き」とかではなく、「なんか、この人面白いな」みたいな感じですかね。言動が人並みではないんです。

大学に毎日通っていた前半2年間は、体力的につらいことも多かったのですが、彼を見て、ちょっと笑って、元気をもらっていたということもあって、ある意味で、私の中で「憧れ」的な存在になっていました。

 

そんな彼を、卒業式の日に、ちらりと見ることができました。

集団の写真撮影をしてあげているところでした。

 

楽しそうで、なによりでした。

楽しそうな姿を見られて、友達でも恋人でもないくせに、なんだか心がほっこりとしました。彼のいない大学は寂しくなるなぁ・・・とすら思いました笑

 

 

記念写真

ぼっちだけど、校門で写真を撮りたい・・・!

そう思い、くそ長い写真撮影の列にならびました。

 

並び続けること1時間半(!!)、ようやく順番が回ってきました。

もちろん友達がいないので、シャッターを押してくれる人はいません。そこで、勇気を出して、後ろに並んでいる人に、シャッターを押してくれないかと頼んでみました。すると、快く引き受けてくださったのです。

 

普段の私なら、知らない人にそんなお願いをすることはできないのですが・・・この日は、自分の姿に自信を持てていたからかもしれません、勇気が出ました。

 

引き受けてくれたお兄さんは、しゃがんだり、下がったり、寄ったりと、たくさん写真を撮ってくれました。その動きは、まるでカメラマン?、いや、子供の写真を一生懸命に撮るお父さんのようでした。知らない人相手にそこまできちんと撮ろうとしてくれるなんて、本当に良い方だなぁと思いました。

 

 

そして、ほかの撮影スポットでも、記念撮影。

そこでは、私に撮影をお願いしてきたお姉さんに、私の撮影もお願いしてみました。

すると、写真に映るものに気を遣ってくれて、非常に親切でした。やはり、たくさん枚数を撮ってくれて、ありがたかったです。

 

 

同級生か、年の近い人に、こんな風に親切にしてもらえたことなんて、ここ数年は全くありませんでしたから、とても感動しました。

また、これまでは、偏見なのですが、「同級生なんて頼りないな・・・」と思っていました。しかし、卒業式に参加している同期たちを見て、「かっこいいな」「立派だな」と思えるようになりました。これは、同期たちが自分の力で進路を切り開いているということや、現実と理想のはざまで折り合いをつけながらなんとか前を向こうとしていることを知ったからでしょう。

 

写真撮影の方法について、最近の若い子は、「撮るよ~はいチーズ!」とキメキメで1,2枚の写真を撮るのではなく、特に何も言わず何枚もバシャバシャ撮るのがツウなようです。確かに、その方が、決めポーズの前後の、自然な様子を撮影することができて、とても良いと思います。私の古い価値観を、アップデートしないとなぁ・・・と思いました。

 

 

袴姿っていいよね

袴姿っていいですよね。高い位置に重心が来て、胸元はすっきり、下にふわ~っと広がるから、なんだかドレスみたいで、豪華な感じがします。

修士課程を無事に修了できた暁には、また袴を着たいなと思いました!まぁ準備や手入れが大変なんですけれどもね・・・。

 

(消毒スプレーで、非常に気を遣いながら手を消毒していたのですが、着物にひっかかってないかとても心配です。最初から、除菌シートを使って除菌するようにすればよかったです・・・。次に着用するときは気をつけようと思います。)

 

 

卒業式で学んだこと

ここまで記事を読んでくださった方は思われるかもしれません、「いやなんの変哲もない卒業式やったやないか」と。

確かに、卒業式という大イベントで、ナンパも告白もされませんでした。先生方からも、学生からも、一言も「きれいだね」「似合ってるね」と言われませんでした。(美容師さんや家族がいっぱい褒めてくれたので、大満足です!)

 

しかし、いろいろと学んだことがあります。それは、重複してしまいますが、

・古い人間関係に固執せず、同一人物と新たな関係を築いていけば良いということ。

・記念写真の撮影方法。

・自分自身に自信を持てれば、他人の目など気にならなくなること。

の3点です。これは、実際にヒトの集合体のなかに行かなければわからなかったことだと思います。やっぱり私も「人間」なんだなぁ・・・と実感しました。

 

それに加えて、

・手間と時間のかかることを一生懸命やり、かつ、それを人前に発表すると、そのことが思い出になるということ。

も実感できました。抽象的な書き方になってしまいましたが、そんな感じです。

 

 

余韻がすごい

ほんとうに楽しかったです。

学位記を見たり、もらった卒業記念品を見たり、自分の写真を見たりして、数日以上余韻に浸っています。

こんなに楽しかったのは、私がこれまで「門出を祝う式典」をことごとく欠席し、節目のない人生を送ってきたからかもしれません。

 

 

そして、やっぱり寂しいからかもしれません。

私は浪人・留年をしたことがないので、22年間ずっと、同い年の人たちとほぼ足並みをそろえて生きてきました。そして、今年の春から、ほとんどの同期とは、違う道を歩むことになります。大方の人が歩む道(就職という道)から外れていくことに、どこか寂しさを感じます。この学部の卒業式は、いままで一緒に道を歩んできた「(抽象的な意味での)同級生」との別れなんだと思えました。

 

長い人生、ここは第一の分岐にすぎず、転職・結婚・出産などのライフイベントまでもを視野に入れて考えれば、さらなる分岐があるわけで、「同級生」と一緒に肩を並べて道を歩み続けるというのは不可能なはずです。

「人」の数だけ、道があるはずですから。

 

 

そんなわけで、卒業式から数日たったので、そろそろ余韻から抜け出さないと!と、思うようになりました。

何せ、修士課程での研究テーマすら決まっていませんし、入学式は目前に迫っています。やばいです。履修も決めないとだし、語学の勉強も始めなくてはいけません。

 

やっぱり修士課程に行くのやめようかな、と思うくらい、学部の卒業式が楽しかった。このきれいな思い出で、学生生活を締めくくりたいとすら思えてきました。久しぶりに「有終の美」が飾れてしまった気すらしました。

 

しかし、過去に満足し、それを引きずっているようじゃだめだし、まだまだやり残したことがたくさんあるんですよね・・・。「学士」であるだけでは、まだ満足できませんしね(笑)

 

この学部卒業式を超えるような、よりよい未来をつくる自信がない・・・けど、やると決めた以上はやるしかありませんね。客観的にみて完璧でなくても、自分で納得できるような結果が残せればオッケーだと思いたいです。

 

 

 

学部の時を超える結果と満足感を得られるよう、日々向上していきたいです。